公務員試験に失敗した26歳の記録

大学生の時に公務員試験に失敗した26歳の男の失敗談とその後の人生を綴る

祖母の死を受けて

午前4時半。

訳も分からず母に起こされた私は開口一番に言われた。

「おばあちゃんの血圧が下がったから病院に行くよ」

来るべき時が来たかと思った。

2、3日前から病状が良くないことを聞いていたからだ。

五時に病院に到着し、祖母の顔を見たときには、祖母は必死に息をし、とてつもなく苦しそうな顔だった。

そんな祖母を見て不謹慎ながら思った。

こんなに苦しむのなら、早く楽にさせてあげてくれ

しかし周りの母や妹や姉たちは頑張って、死なないでと声をかけ続けていた。

我ながら自分のことを冷たい奴だと思った。

そんなことを思いながら、今日の仕事は休みにしてくれと上司にメールをした。

その、4時間40分後の9時40分に祖母は息を引き取った。

姉は泣いていた。母も泣いていた。妹などわんわん泣いていた。

しかし自分だけは泣かなかった。

別に格好をつけたわけではない。

不思議と悲しくないのだ。

涙が出てこないのだ。

ただ思考だけは止まっていた。

何も考えられなかった。

暫くすると会社に電話をしなければならないと思い、電話をした。

すると、忌引きということで二日ばかりの休みを貰えた。(と言っても葬式と告別式の日の2日分なので先の話だが)

その後、葬儀屋が来て祖母の遺体を引き取ってくれたが自分は無気力のままだった。

家に帰ってもそれは変わらなかった。

やることはあったが、何となくボーッとしたい気分だった。

暫くすると何故自分が悲しくないにも関わらず無気力なのか何となく分かった。

恐らく実感がないのだ。

いるのが当たり前の存在がいなくなったことに心がついていっていないのだ。

そう考えると途端に少し辛くなった。

この間叔父が亡くなったばかりだと言うのに、こうも身内の死が続くとは運命とは皮肉なものだと思うようにもなった。

しかし同時にこのままではいけないと感じた。

このまま身内の死に捕らわれていては何も進まないだけでなく、ストレスで自分もおかしくなってしまうかもしれないからだ。

しかし乗り越えるには何をしたら良いかは分からない。

だから、取り敢えず何時ものようにランニングをした。

何時ものように過ごすことが身内の死を乗り越える方法だと自分で思ったからだ。

その後は祖母の葬儀の日程の準備などのことを除いてなるべく何時も通りに過ごした。

そんな激動の1日もそろそろ終わる。

もし今日の夢で祖母に会えたのなら、こう言いたい。

「今まで本当にありがとう。俺はまだそっちには行けないけど、元気でね」

~好きな名言~
逃げるならいつでもできる。だが今しかやれん事もある。